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芳心院(ほうしんいん、慶長19年(1614年) - 元禄4年3月18日(1691年4月16日))は、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の側室。名は琴。 == 生涯 == 慶長19年(1614年)、父親は特定されていないが、牛込榎町の徳円寺住職の娘として生まれたという説がある〔秋元茂陽『徳川将軍家墓碑総覧』(パレード、星雲社、2008年、p88)〕。 寛永18年(1641年)〔「幕府祚胤伝」(『徳川諸家系譜』2、79頁)〕、大奥に勤め、側室として召されるが、徳川家光との間に子を産むことはなかった。慶安4年(1651年)に家光が亡くなった後は落飾して芳心院と号した。 元禄4年(1691年)、没した。享年78〔高柳金芳『徳川妻妾記』(雄山閣、2003年、p118)〕。戒名は芳心院慈回清鏡大姉。葬地などの記録は残っていないが、家光の側室である定光院の葬地である済松寺にはかつて「芳心院」という塔頭があり、明治期に入ってから現在の八王子市に移転された。現在の調査ではこの場所が墓所であると考えられる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「芳心院 (徳川家光側室)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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